四川人のお手伝いさんの話

 今日、阿姨さん(お手伝いさん)が来て、携帯で何事がしゃべった後で、ため息をついて話をしてくれた。

 阿姨と同じく四川から上海に来ている親戚が、交通事故にあったので、、病院にいるから、金を貸してくれという電話があったとのこと。ビルの廊下の掃除の仕事で、手元にいつも20元しかなく、絶対にモノを買わないから、モノの相場を知らない。学校を出ていないので、(僕と同い年くらいらしいけど)文字が読めないので、支付宝のようなアプリは使えないし、文字を読まなくてはならない職には付けないとのことだった。

 ここまで聞いて、貧乏なのかな、かわいそうだな、と思ったんだけど。

 彼女はケチで有名らしい。実は金は一番貯めこんでいるけど、自分で病院代を払うのが嫌だから、知り合いに電話をかけまくっているとのこと。今まで、周りでお金を貸したけど帰ってこなかったという人が多く、電話は金の無心の時だけかけてくるから嫌がられているとのことだった。
 交通事故というのも大したけがはしておらず、勤務先の会社から補償金をもらい、かつ公休をとるために証明書を発行してほしいから行ってるとのこと。その費用も、自分で払いたくないという話だった。

 結婚式の祝い金も、もらいはするけど、お返しはしないし、他人の結婚式には祝い金は出さずにご飯だけ食べにくるとのこと。徹底している。
 もちろん、親戚中から嫌われてるし、友達いないらしいけど、中国の、特に田舎は人間関係が濃いので、親戚関係は切れないとのこと。

 なんというか、すげーな。。と思った。
 
 付き合うには面倒そうな人だし、人間関係を理解する最低の教養もないのかな、とは思うけど、一方で文字すら読めず、なんの身分や後ろ盾もない中で生きていくのに、お金で身を守っている感覚なのかなと思った。

 かたや、一緒に旅行にいった上海人の「(今2歳の)子供にはマンション3部屋(資産価値はたぶん10億円以上)与える予定で、将来は英語圏に留学させる」という話や、贈られたワインで一部屋いっぱいになってワイン倉庫状態になっているという話とのギャップが大きく、目がくらくらする。

 なんとなく、今読んでいる莫言の牛(Bull)の世界をイメージしてしまった。。

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