万向集団董事長、鲁冠球氏の死去によせて

中国の万向(Wanxiang)の創業者、鲁冠球氏が10/25に亡くなったというニュースを聞いて。。

皆さんは、万向という会社をご存知でしょうか。知らない人がほとんどだと思います。

万向集团公司

中国最大の自動車部品の会社です。世界の自動車会社ランキングのトップ20に入り、高級車にもユニバーサルジョイントなどを納入しています。
この創業者、鲁冠球氏はすごい起業家なのです。

 

万向は、浙江地方の貧しい農民だった鲁冠球氏が、文化革命の間に500ドル(5万円)の元手で立ち上げました。

 

 彼は、元々国有企業の工場で仕事してましたが、そこが縮小されて首になり、仕方なく戸籍のある地元の村に帰ったのですが、仕事がないので、自分で立ち上げることにしたわけです。
 
 何がすごいって、文化大革命の間は、一切の私有会社は認められていなかったのです。事実、魯氏は一度立ち上げた食品加工工場を政府につぶされています。

 

 非公式な会社なので、当然国からのサポートは一切なく、国有会社ならいい値段で仕入れられる資材もルートがなく、やっと製品を作っても、まともなセールスルートもありません。

 

 優秀な若手を取ろうにも、当時割り当て制だった新卒の割り当てられる枠もなかったわけです。(アリババのジャックマーも、最初の就職は割り当てられた英語教師でしたね)。

 

 それよりなにより、紅衛兵が資本主義者の粛清に大暴れしたこの時代に、私有会社を作るということ自体が、向こう見ずというか、とんでもないアントレプレナーシップなわけです。

 

 その時代を数年耐え抜き、鄧小平の改革開放の時代が来た時に花開きます。国有会社の非効率さを知っている魯氏は、インセンティブ制度を会社にうまく取り入れて、生産性の向上と製品の質の向上に成功します。そして、ユニバーサルジョイント生産工場の国の指定3枠に残り、アメリカへの輸出を開始します。やがて、アメリカの部品会社を買収し、国際企業への道を歩みます。彼が中国の自動車産業に及ぼした影響は非常に大きいです。

 

このストーリーはハーバードビジネススクールのケースにまとめられておりますので、興味のある方はどうぞ。

 www.hbs.edu

彼のエピソードや、前に読んだ16歳のプログラマーのインタビューを読むに、結局本当のアントレプレナーは、場所とか環境とか、選ぶものではないんだなと思いました。

 文革時代の中国なんて、起業には考えうる最悪の環境ですからね。そんな稀代の起業家、魯氏のご冥福をお祈りします。。。